青年団リンク キュイ 主宰・綾門優季インタビュー

周囲の迷惑もはばからず手厳しい糾弾をひたすら浴びせかける登場人物、知ってはいるけれど口にはしない不幸な真実をあえて口にした時の気まずい雰囲気、現代日本には珍しいほど仰々しい文語的セリフまわし、過剰なまでに長くややこしいモノローグ等が特徴の「青年団リンク キュイ」。初の3都市ツアーの千穐楽である仙台公演を前に、主宰の綾門優季さんにお話しを伺いました。
-本日はよろしくお願いいたします。まずは、綾門さんがどのようなきっかけで演劇を始められ、これまでどのような活動をされてきたかをお尋ねします。

親が高校の演劇部の顧問をつとめていたということもあり、家には戯曲が大量にありました。中学校ぐらいまではほとんどマンガしか読んでいなかったのですが、かなり遠い高校に進学したことで、高校生になってから通学の時間に活字本を結構読むようになったんですね。往復3時間はマンガだと間が持たないから。図書館で借りた本、自分で買った本も読んでましたけど、やっぱり近くにある本は読まなきゃもったいなくて。それで本谷有希子さんとかケラリーノ・サンドロヴィッチさんとかの戯曲を、上演も観たことないのに何本か。「せりふの時代」っていう今はもうない戯曲の雑誌が何故か実家に全巻あるんです。小説を読むのと同じ感覚で、それを端から端まで。清水邦夫さんや唐十郎さんの存在もそこで知りました。平田オリザさんの戯曲は最初読み方がわからなくて、東京で青年団を観てからむしろ面白く読み始めるんですけど。その時の経験は今の自分を形作っていると思います。あの蓄積がないと、演劇を始めようと思い立つことはなかった。
最初は何が自分に向いているかわからないから、現代口語演劇っぽいことをやってたんですけど、ある時から致命的に口語の才能がないことに気づいて。たとえば普段からよく「致命的だねー」とか言っちゃうんですが、他の人からあんまり日常的に使わない言葉だって指摘されたんですね。「雷に打たれたぐらい衝撃的だった」とか。比喩で表現しちゃったり、物事を大げさに言ったりする癖が昔からあって。なのである時からは、日常的な語彙からなるべく遠く離れた言葉をかき集める方向になりました。2010年代の文語での演劇というものが、どういう形式で可能なのかということを、活動の中で少しずつ探っています。

稽古風景1
稽古場にて。台本に書き込みをする俳優たち。
-なるほど、演劇が身近にあったわけですね。活字ということで、「書くこと」については様々な表現方法があったかと思いますが、「戯曲」という表現を選ぶ決め手みたいなものは、何かあったのでしょうか?

最初は小説家になりたいって言ってた気がするんですが、小説家ってデビューするのを待たなきゃならないじゃないですか、基本的には。同人誌から始める、みたいな路線もありますけど。でも、せっかちだったので、すぐに作品を観てもらってあーだこーだ言われたかったんですよね。今しか表現出来ないものを今、誰にもみてもらえないことに耐えられないというか。それは旗揚げ公演の時にも強い動機のひとつでしたし、今でも戯曲を書いている大きな理由のひとつですね。今書いたものを今評価してもらいたい。決着をつけたい。その時間感覚。最近ようやく戯曲は後世に残るということの重要さを、意識し始めたところです。

稽古風景2
稽古風景
-作品の特徴として「モノローグ」というものが、審査会や他のインタビューでも挙げられていたかと思います。『止まらない子供たちが轢かれてゆく』での「99%の出来事は語られない」であったり、『不眠普及』での二幕「風景」で描かれたモノローグはとても印象的でした。個人的には、鳥公園のモノローグにも近いような気がするのですが。

『止まらない子供たちが轢かれてゆく』のモノローグと『不眠普及』のモノローグは結構種類の異なるものです。『止まらない~』は自分のなかにわだかまる気持ちを相手に押し付けるようにべらべらと喋る、という暑苦しいものです。対して『不眠普及』はドライというか、とても冷めている。状況描写に徹していて、自分に起こっていることも何処か他人事というか。その時の感情があまり反映されていない。外向きに無差別発砲するものと内向きに葛藤し続けるものと、全然違う質感に思えます。
鳥公園と比較されたのははじめてのことだったので、意外な質問でした。それこそ『止まらない子供たちが轢かれてゆく』を自分の演出でやった時にアフタートークゲストで鳥公園の西尾さんをお招きしましたし、たまたま共通の友人がいて西尾さんとは何度かお話ししたこともあるんですけど…結構遠い存在というか、作風だと思っていました。鳥公園のモノローグは描写じゃないんですよね。理屈で説明することが難しくて、ドロドロしてる。それに比べるとドライというか、キュイのモノローグはこうだからこうなのでこうなんだー!みたいな、起承転結を強引に推し進める起爆剤になっていて、そもそもの用いられかたが異なるような印象です。

稽古風景3
稽古場にて。奥のテーブルについているのは得地弘基さん
-今回は演出を得地弘基さんに任せられていますが。

『不眠普及』は前回の上演で蜂巣ももさんに(短編バージョンですが)、『止まらない子供たちが轢かれてゆく』は前回の上演で自分の作・演出で行ったわけですが、今回に限らず自分は色んな演出家の手によって上演されて欲しいという欲望が強い劇作家なんです。そもそも『不眠普及』は書いた時から作・演出でやる気が全くない作品でした。演出する気がないから、上演のことを考えずに思い切った方法が取れたと思っているので。得地さんの主宰するお布団の『アンティゴネアノニマスサブスタンス/浄化する帝国』の演出方針が『不眠普及』に割とマッチするように思えたんですね。『アンティゴネ~』は生き物の香りがしない作品でした。血が通っていないグロさ。生々しい感情に頼らない人間の恐ろしさに肉薄していたと思います。共感するには距離感の遠い『不眠普及』を得地さんにぶつけてみたくなったのはそこが大きかったですね。『止まらない子供たちが轢かれてゆく』のほうは前回のツアーで、得地さんに演出助手と映像を任せていたこともあって作品についてよく知っているので、この二本同時上演を任せたいと思い立ちました。作品を観て、その判断は間違っていなかったと確信しています。

不眠普及 東京公演の様子1
『不眠普及』 東京公演の様子
-出演者についてはどのようにして選ばれたのでしょうか?

『不眠普及』については「似た感じの女の子を三名」という得地さんのオーダーがまずありまして、身長や年齢の近い坂倉さん、鶴田さん、新田さんの三名にオファーしました。なんで似た感じである必要があるのかは、ぜひ観に来て確かめてください。『止まらない子供たちが轢かれてゆく』に関しては一名を除いて前回のキャストとは入れ替わっていて、その一名も配役が変わっています。新しい『止まらない子供たちが轢かれてゆく』をつくるために、あえて前回とは個性の異なる俳優たちを集めたつもりです。串尾さんは生々しいモノローグを気持ちの悪い雰囲気で伝えるのがとてもうまい。石松さんはいきなり感情をピークに持っていけるのが凄いですね。コウダさんはいじめっこと肩身の狭い先生という、全然違う役柄をスムーズに行き来出来ている。それぞれの良さが引き立っていると思っています。

止まらない子供たちが轢かれてゆく 東京公演の様子1
『止まらない子供たちが轢かれてゆく』 東京公演の様子
-青年団リンク キュイの3都市ツアーとなりますが、初公演となる京都や、『止まらない子供たちが轢かれてゆく』以来となる仙台、それぞれどのような印象をお持ちですか?

京都のアトリエ劇研批評家プログラムに今年から参加していることもあって、既に何度か足を運んでいる印象としては、そんなに相性は悪くないんじゃないかなあと思っています。特に『不眠普及』は観客に能動的に考えることを強いる作品なので、エンタメとは程遠いですが、京都の観客が果たしてどういう意見を持つのかとても気になっています。
仙台公演のみ会場が違うのはドキドキしています。『不眠普及』はキュイで初となる能舞台での上演なのであらゆることが新鮮です。『止まらない子供たちが轢かれてゆく』は前回と同じせんだい演劇工房10-BOXなので、前回の上演を観た方は、自分と得地さんの演出の違いを比較しやすいと思います、ニヤニヤしてください。二本で一つの演劇体験を提示しようと考えています。ぜひ二本とも足を運んでいただければと。

-どうもありがとうございました。
【プロフィール】
綾門優季(あやと ゆうき)綾門写真

1991年、富山県出身。劇作家・演出家・青年団リンク キュイ主宰。青年団演出部。2011年、専属の俳優を持たない、プロデュース・ユニットとして「Cui?」を旗揚げ。2013年、『止まらない子供たちが轢かれてゆく』で第1回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2015年、『不眠普及』で第3回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。2016年、ユニット名を「青年団リンク キュイ」に改称。
twitter @ayatoyuuki

聞き手:岩村空太郎(せんだい演劇工房10-BOX)

記事のURL https://sencale.com/?p=8240
関連公演情報 『不眠普及』仙台公演 https://sencale.com/?p=7936
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