タケイユウスケさん<若手に聴く>

2000年生、現在23歳
俳優
第6回いしのまき演劇祭 実行委員長、cocoro-mille 所属
東京出身。16歳の時から震災のことを知りに石巻にいらっしゃるようになり、現在は、石巻で営業のお仕事をなさりながら、俳優をしておられます。
2024年4月に、石巻のシアターキネマティカでお話を伺いました。
―― 宮城にいらしたきっかけは何だったのですか?

もともとは、高校生の時に、震災のこととかを知りたいという思いがあって。16歳のときから団体で来て、団体だとどうしても活動範囲に限界があるので、高校生のうちに一人で来るようになって。町の方たちとかと会話していくうちに、どんどん引き込まれて。石巻で社会人一年目を迎えるのもいいかな、と思うようになりまして、就職を期に、こちらに、という感じでした。

―― お仕事は何を?

営業、になるのかな、営業の仕事をしています。

―― 東京出身で石巻へというのは、思い切られましたね。

もともとは、地域おこし協力隊で働いていて。中学校3年生くらいの時から、役者をやりたいと思っていて。高3のときに矢口龍太(第2〜4回いしのまき演劇祭実行委員長)さんにお会いして、いしのまき演劇祭のことを知りまして、演劇ができる環境は石巻にもある、と。高3の時からいしのまき演劇祭にお手伝いに来たりしていました。

―― かなりお若い時から積極的に石巻と関り続けておられたんですね。

そうですね。16の時から18の時までずっと。年に4,5回以上とか来た時もありましたね。今考えるとハードなこともしていました。中間テストや期末テストが終わったらそのまま、荷物かついで新宿行って深夜バス乗って石巻に行って、で、日曜の深夜バス乗って新宿に早朝に着いて、家に帰ってトランク置いてカバン持って登校する、とか。どんな予定の詰め込み方だ、ていう。今じゃできないですね、さすがに。

―― 俳優をなさろうと思ったきっかけは何だったのですか?

母の友人がある劇団のヘアメイクとかをやっていて。母はそのアシスタントやスチールをやっていまして。それで、中3のときにその東京の劇団の公演を観た、っていうのが全ての始まりでした。観ながら、客席を見るとお客さんが笑ったり泣いたりしていて。人の表情を動かせる仕事ってすごいな、役者をやりたいなって思ったのでした。

―― 生の観劇体験がきっかけだったのですね。

そうなんです。周りのお客さんの表情を見て、すごいな、って。

―― 「もともと声優をやりたくて」という方も最近は多いようで、むしろ新鮮に感じました。

やってみたいはやってみたいですね、そういう仕事も。中学の時にはラジオパーソナリティをやりたいなっていうのも正直あったんですよ。夢として。高校の時にはボランティアでラジオによく出ていました。

―― そうなのですね。今はそれ系のことは?

今は、ラジオ石巻さんで、年4,5本なんですけど、『Reading Reading』っていう朗読の番組を一本やらせてもらっています。青空文庫の、著作権の切れた作品の中から、30分の朗読を。だから、夢は叶った、という(笑)

―― それは素晴らしいですね。俳優の仕事でもあり、ラジオにも出ておられる。

まだまだもっと、やってみたいところはあります。

―― 最近、取り組んでおられるのは、するとそのラジオと?

ちょっと仕事がバタバタしていて、しばらく役者からも離れていたんですけれども、3月にあった『Voice』(演劇による震災伝承事業 演劇公演「Voice-仙台市東部沿岸地域の伝承と物語-」)には、ワークショップにも参加して、出させていただいて。あと、6,7月くらいにも朗読系の作品が一本あって、読み合わせを。
そういった役者関係のことも動きつつ、まあ、いしのまき演劇祭のことを、実行委員長として継いだので。

―― そうですよね、それがとにかく、大任ですよね。どういう動機で継がれたんですか?

コロナがだんだん厳しくなって、2021年の第5回の開催から間が空いてしまって。もともと自分が高校生の時に関わっていたイベントというのも大きくて、自分自身としても終わってほしくないですし、このイベントがあったから演劇が観れる環境が石巻にもあった、ていうのもありますし。仙台からもお客さんにいらしてもらえて。自分も演劇祭をやりたいし、次に繋げたいし……じゃあ……継ごう! という感じでしたね。

―― 石巻に演劇を、ということに強い思いがおありなのですね。

そうですね。自分自身も皆も、演劇観たい、舞台観たい、てなったときに、仙台に行ってしまう、というのはすごくでかいくて。
そんな中で、石巻で観れる環境とか、石巻でできるものが多くあったというのは、ここの魅力だなと思います。
特に、キネマティカができたことも。こういう場所ができて、演劇に限らず、映画とか音楽とか芸術全般を、近い距離で観れる、関われる場所ができたというのも、すごく大きいです。

―― 確かに。今、仙台演劇カレンダーの劇場マップに、石巻で唯一載っているのは、シアターキネマティカなんです。ここの存在が、やはりすごく大きいのだな、と思います。これだけの物事を整えて。

そうですね。キネマティカは、作る段階から関わっているので、思い入れは大きいです。バールで板をはがしたり、壁紙をはがしたり(笑) なので、もっと知ってほしいですね。映画とか、ここでライブとかもできますし。

―― 今、石巻、宮城で、演劇に関わることをしておられて、環境面で、困っていること、助かっていることはおありですか?

やっぱり、どうしても仙台に寄ってしまうこと、というのはありますよね。あと、演劇人同士の交流の場所っていうのも、どうしたら、というのがあったり。ワークショップに行くとかは良いんでしょうけど、それ以外でも繋がりを作ったりするようなイベントが、石巻に限らず、あったら面白いだろうなと。そこから石巻に来てもらう、とかも出てくるでしょうし。
演劇ができる環境は、石巻にもあって、ここもありますし、安く借りれるホールもあったり。ただどうしても、演劇人同士のつながりというのは、特に若手同士のつながりは、石巻ではあまり見えないですね。若い人は仙台に行ってやる、みたいな。

―― それは、石巻で演劇を、というタケイさんからすれば、寂しいことですね。

まあでも、今自分もいるcocoro-milleっていうグループは、石巻にも仙台にもメンバーがいて、ごちゃまぜでやったりしています。

―― なるほど、それは良いですね。一緒に作品を作るとぐっと距離が縮まる、というのはありますよね。

そうですね、『Voice』からも、そこから始まって、脚本を書いてみよう、ということになったりしています。書いたことがないので、四苦八苦しながらですけれども(笑)

―― cocoro-milleや主宰の塩田歩く(comoro-mille/劇団「スイミーはまだ旅の途中」)さんとの出会いはどんな風でいらしたんですか?

高校生3年生の時にお手伝いに来た、いしのまき演劇祭の舞台公演が、当時、歩くさんの所属してる団体(ろくがつ企画)で、そこから知ってはいました。石巻に来た後も、リボーンアートの『夜側のできごと』(REBORN ART FESTIVAL 2019のナイトプログラム)に自分は出演していて、その時にも歩くさんと一緒でしたし。ずっと繋がりはあって。その中で、「タケイちょっと芝居やらない?」みたいな。仙台の役者さんたちを巻き込んで、石巻は自分と歩くさんで、石巻でやっても仙台からお客さんが呼べるし、石巻の人も仙台に行くし、という話もあったり。あと、僕に、所属がないのもなかなか難しいよね、みたいなことがある中で、cocoro-milleという名義を使わせてもらえるようにした、という面も。だから今僕は存分に使わせてもらっているんですけど。

―― 所属がないというのはやはり、難しいものですか?

僕はそこまでまだ、ですが、最近ちょっとそういうのを実感したとしたら、友人から、やってみたい、仕掛けてみたいこと、それこそココロミてみたいものがあるんだけど、という相談を受けまして。何も繋がりがなくて困っている、と。その時に、cocoro-milleの名義でやっていいよ、と歩くさんの許可を得まして。cocoro-milleの名前があれば、ああ、cocoro-milleなら行ってみようかな、ということにもなりますし。もちろん、その名前の信用や信頼あってのことですけれど。その名前があるだけで、劇団の公演なんだなと。「タケイユウスケ」だけだと、「誰やねん」となりますけれど、「cocoro-milleのタケイユウスケ」だと、「ああ、あそこ所属のあの人なんだな」、となりますし。

―― 今後のご活動、というと、やはりいしのまき演劇祭、ということになりますでしょうか。今はどんな感じですか?

そうですね。開催日は決まって、11月の最初の土日祝と、毎週土日に。応募要項ももう公開になります。揃ったメンバーも優秀な方が多くて、これ俺いるかな、みたいな(笑) 色々助けてもらいながらやっています。

―― 実行委員会にはどんな方々がいらっしゃるんですか?

芝原弘(黒色綺譚カナリア派/コマイぬ)さん、水曜日のfikaのJunさん、歩くさん、カメラマンの髙橋広一郎さん、『Voice』にも出ていて、舞台の道具とかを作ってくださる千葉耕平さん、というメンバーでやっています。いろいろ手弁当なので、寄付金とか、スポンサー集めとかもしないといけないよね、とか。ホームページも自分たちで作ったり。一からやり直し、みたいな状態なので。

―― 以前の実行委員会から引き継いだもの、というのはあまりないのですね。

あるはあるんですけど。ほぼ、一からやり直し状態なので、いったん、過去にあったものとは違うものになりつつあるのかなと思います。ロゴも作って一新して、タイトルも「週末は、芝居を観に出かけよう。」から、「週末は、芝居を観に行こう。」に変えて。まあでも、いろんな人が作り上げたものを、まずは、終わらせない、ということを大事にしています。お金のことは本当に、頭が痛いですけれども。

―― 上演作品は、招聘はせずに公募で、とお考えなのですか?

そうですね。こちらで指定して呼んだりはせずに、公募で、ご応募いただいた団体さんでと思っています。

―― 会場はまた、いろいろなところで、と?

いえ、今回は会場はキネマティカ一本で行こうと考えています。アクセスが良いというのも大きいですし。いずれは街中ももっと巻き込んでいけたらいいなと思うんですけれども。

―― キネマティカ、面白いところですよね。

そうですね、この客席の椅子なんかも、ご提供いただいたものだったりします。自分も防音シートを貼ったりして、一から作りました。客席のひな壇も、東京で廃業する劇場からもらってきて組んで。

―― 23歳で、市の名前を冠した演劇祭の実行委員長、というのはなかなかいないですよね。

ほんとですね。なかなかいないと思います。年齢を武器にする、というのは、最初は苦手だったんですけれど、地域おこし協力隊の方に、「いや、タケイくん、年齢は、武器なんだよ」と言っていただいてから、もう吹っ切って使っています。最年少に近いんじゃないですか。高校生大学生のものは別にして。

ナレーションやってみたいっていうのがすごくあって。ヒトコマという施設ができたんですよ。いろいろワークショップとかやっていて。まあ若者メインなので、22歳まで、とかの企画が多いんですけども。でもナレーションの企画とかは、22歳より上でもできるようなものもあって。もとミヤテレの加藤さんていうリポーターさんが講師をしてくださってりして。何かを学ぶ、参加するっていう環境がもう一つ増えたので最近、それはでかいなと思います。

―― 今後なさってみたいこととしてはではその、ナレーションとか、という感じでしょうか。

声を使ったこととか、なにかこう発信したりとか、そういうことはすごくやりたい。あとは、インタビュアーとかリポーターとか、そういうこともしたいなとすごく思います。

自分がこうすごくいろんなことに興味を持つ人間なので。そういうのからインタビュー、になったり。
高校のころイベントの司会をしていたりもしていたので、そういうのもでかかったのかなと思います。調布の、駅前のイベントだったり、ホールでだったり。良い経験を積ませてもらったなと。
そうそう、芝原さんには僕、調布で初めてお会いしてるんですよ。その、観光協会の常務の方が泊まったホテルに、たまたま芝原さんがいらして、「わたし石巻なんですよ」から話が始まって。でその常務の方が、「タケイ君、調布にいるんなら紹介するよ」、と。矢口さんもその方が知っていらして、だから芝原さんと矢口さんはその方に紹介を受けていて。

―― 観光協会ってすごいんですね。

や、その常務の方がいろんな繋がりがある方で。すごくよくして頂いて。……で、結果として、いま石巻にこうして居るという(笑)

―― やっぱり観光協会ってすごいですね。

(笑) あとやはり矢口さんとか芝原さんとかに、こう、どんどんひかれていったという。
おかげさまでまあ、成長したところを、東京の人にも見せられているかなと思います。一個の報告になりますし、実績とかよりは、「こういうことやってるんだね、じゃあ行ってみようかな」、となれば良いですし、僕の知らない方にも、「23歳の人がやってるんだ」とか、興味の種になってくれればなと思いますし。

中3までは全然、コミュニケーションもへたくそだったですけれど、高1の時に、夢で役者をやりたいってなって、プロダクションはでも高いし、じゃあなにしたらいいかなってなって、ボランティアでイベントの司会とか関わっていけばいいや! ってなって、司会とかで人前で話すようにしていったっていうのが始まりで。そうしていくうちに、年上の方でも全然怖がらずにこうしてお話するという(笑)このスタイルができあがっていったようなものです。物怖じせずに話せるようになるのに、高校の3年間と石巻の5年間はすごくでかい経験になっています。

―― 最後に何か、お話しし残したこととかはおありですか?

けっこう自由にいろいろお話させていただきましたよ。あ、いしのまき演劇祭に来てほしいです、ていうのはやっぱりあります。

―― それはそうですよね。いしのまき演劇祭のことは、また別にぜひ記事にさせてください。もう少しいろいろ決まってきた頃に。

そうそう、いしのまき演劇祭でも、学生さんが観やすいチケットを作っていただけるように、参加団体に協力をお願いします。中学生高校生とかが演劇観るとしたら常に仙台まで行く、というのではなくて、若い人たちが観れるものが、ここにある、ということは、すごく大事にしていきたいので。いずれうまく連携することができたら、高校演劇部とかがシアターキネマティカで公演をするようなことになっても面白いと思いますし。いしのまき演劇祭としては、演劇祭の運営ももちろんなんですけれど、ワークショップとかインタビューとか、演劇に関わる機会を作っていけるような団体になっていけたらいいなと思っています。

―― 良いですね。若い世代を引き込んでいかないと未来はないなと強く思っています。

そうなんですよ。自分もいい経験をさせてもらいましたし。

―― では、本日はありがとうございました。

貴重な機会をありがとうございました。

プロフィール
2000年10月28日生まれ 東京都調布市出身
中学三年時に、母がヘアメイク補助で入っていた東京の劇団の舞台を見て、演劇の良さを感じ、役者を目指す。
高校一年生から石巻へ震災学習も兼ねて訪問。その後も、一人で来るようになり、高校三年生の時に、社会人として
働くことを決意し、石巻市の地域おこし協力隊として移住した。仕事と共にリボーンアートフェスティバル「夜側のできごと」など
役者として活動する一方、ラジオ石巻にて、年間4~6回放送される「Reading Reading」というラジオ番組にも挑戦している。
現在では、いしのまき演劇祭の実行委員として、石巻で演劇に触れ合える機会の創出を狙って活動している。

X(Twitter) @takkytakkytake

聞き手 本儀拓(仙台演劇カレンダー)