米山陸さん<若手に聴く>

2000年生の23歳
俳優
劇団 東北えびす所属、劇団ざくろう所属

北海道芸術高等学校仙台校を卒業後の2019年に一度東京に出て声優をなさって、2021年の秋に仙台にお戻りになって、アルバイトをしながら舞台俳優をしておられます。
2024年4月にお話を伺いました。

最近、周りに天才が多いな、てすごく思っていて。他の若手の舞台を観たりしても、この人うまいな、て思ったり。悔しいなって思ったりすることが増えて。それは、演技ということに向き合ってるからかもですけど。同じ劇団ざくろうの、高校の2歳下の後輩の田川遥とか、去年演劇ユニット石川組で共演もしましたけど。考え方に演劇人としての重みがあるというか、演技に対する向き合い方とかシンプルに尊敬するし、考え方とか、勉強になるなって。向こうもそう思ってるかもですけど。うまいなって。その人への悔しさをバネに頑張ろうと思える人が近くにいて、嬉しいなって思うんです。若手がこれだけ活躍してて、天才がいっぱいいて、いい影響を与えてくれるような人が多いと、俺も嬉しいし、頑張ろうって思えます。そういうありがたい環境にいるなと思います。まあ、遥とは、あんまりそういう話はしなくて。 仲は良いんですけど、彼があまり喋るタイプでないこともあって、あまりそういうことは喋らない(笑)

周囲からはお勧めいただくものの、自分でYouTubeとかTiktokとかはできないでいます。機械とかが苦手で。その点、渡邉悠生(無所属)先輩はすごいなと思っています。高校の一個上の先輩で、2021年に仙台に戻ってきた年に出演作を観て、体捌きで泣きました。悔しいくらいうまい。尊敬していますし、すごく影響を受けました。常々言っているんですけれど、尊敬する俳優は、佐藤健と渡邉悠生です。

コンプレックスをすごく抱えています。他人に比べて自分が劣っている、と思います。周りの皆さんには、そうでもない、と言っていただけて、それはそれで皆さんには真実なのだと思うんですけれど。

自分の演劇史みたいなものを考えた時に、自分は東京に挑戦して、挫けた人間だと思っていて。もともと声優になりたくて、北芸に行って、東京に行って事務所に所属しまして。とんとんとステップアップはして半プロにはなったけれど、オーディションに勝てなくて。それですごくダメージを受けました。後輩や同期がどんどんオーディションに受かったりしていって。あと、対人関係ですごくショックな、自分が声優をやらなければこんな結末にはならなかったのでは、ということもあったりして、自分の選択を恨むようにもなってしまって。当時は、一つ一つの選択が雑でもあった、と思います。
その後、声優をやめて、半年くらいただただバイトをしていました。両親は帰ってこないか、と言ってくれて。その時に、でも、そうだ、北芸の講師に渡部ギュウ(東北えびす)さんという人がいたな、と思い出しまして。あ、これが演劇の楽しさなんだ! と一番最初に思ったのが、ギュウさんの授業だったな、と。で、両親には、1,2年くらい仙台にいていいか、と言って、仙台にきて。
当時は、舞台俳優は性に合わないかなーとか思っていて。向いていないと思って。やはり声優がやりたくて。でもそんなときに、ギュウさんから、ちょっと舞台出てくれないかと言われて。そこからいろいろ紹介してもらったり、いろんなことをしていただいて。
自分の舞台演劇歴ってだから、同年代と比べて浅いなーと思っています。例えば悠生先輩や遥はずっと舞台に関わっているけど、自分は2021年の秋ぐらいからで。

―― 2019年の『ナイゲン』(劇都・仙台演劇祭(仮)プレイベント メインステージ「ナイゲン」)とかにはでも、出ておられました?

出ていました。あれが二本目とかです。一番初めは劇団ざくろう『みちのりのまじわり』で。ただ、やはりそこから2年あいているので。ざくろうも若手でやっていますし、そこもコンプレックスを感じています。
自分、天狗になる方で、褒められるとパフォーマンス悪くなるんですよ。不安や緊張を持っていた方がバネにしていけて。自分をネガティブに見ていると、人のいいところが見える、みたいなこともありますし。

―― 今は何の稽古をしていますか?

今は、劇団 東北えびすの週に1,2回の通常稽古と、今月末の発表に向けての稽古、東北えびすの演劇クラブの稽古をしています。ギュウさん絡みが多いですね。
劇団ざくろうは定期稽古は無くて、そちらは、ざくろうの本公演に向けて、月1,2回くらいはミーティングをオンラインで進めています。
稽古は、大変でもあるし楽しくもあるし。ストイックにがんばっていきたいです。一日のうちで、稽古に使える短い時間のことを考えると、確認だけに終わるともったいない。常に稽古には、成長するチャンス、気づきの機会と思って望んでいます。発見をしたいです。楽しいですね。
今は、バイトと、その稽古の二足のわらじです。

―― 声優から舞台俳優へ転身したのはいつでしたか?

舞台俳優として頑張っていこうと思ったのは、『組曲虐殺』(2023年9月 渡部ギュウプロデュース公演)の後、なので、最近です。それまでは、心のどこかで、まだ声優をやっていたいと思っていたところがあって。俳優をやっているのは、声優になるためのステップ、と自分に言い聞かせていたところがありました。今にして思えば本当に失礼な話ですけれど。でも最近は、俳優として頑張っていきたいなと思っています。

―― 『組曲虐殺』の、どんな経験がご自身をそう変えましたか?

『組曲虐殺』は、自分が戯曲を持ち込んで、これをやらせてほしい、と言ったのが発端の舞台でした。今の自分たちは、「不盛」の時代、盛り上がらない、不幸の時代で頑張ってるんじゃないか、と思っていて。でももっとやれることがあるはず、と。そんな時に、この作品が、登場する小林多喜二が、良いな、やりたいな、と持ち込みました。
若手育成の意識もきっとあってお任せいただいた制作と、俳優を兼任しましたが、九割がた地獄でしたね。負担が大きすぎて(笑)。自分の企画なのに、自分に知識が無くて何もできないし手も出せないし。周りにもすごく負担をかけてしまって。衣装とか歌とか。
でも、最後の公演地の山形の川西町で、自分の歌のソロのシーンでお一人からだけ、拍手をもらえて。自分だけのシーンで。それまでアンケートではボロボロだったんですけれど、それで報われたような気がして。それから、終演後のロビーで、先輩の大人たちが、何も言わずにただただ拍手をしてくれて。すごい泣きました。打ち上げでは、演出のギュウさんから、「陸、俳優で稼ぐのは、ほんとに大変だぞ」と言ってもらって。それって、自分も俳優で稼いでいく人なんだと認めてもらえたってことかな、と思いました。
完全に舞台俳優にと舵を切ったのは、そういうことがあってでした。まあ、作品の創作については、ちょっとリベンジしたい気持ちはあったりするんですけれども。

苦しいから逃げるっていうのは、できることならそうしたいかもしれないけれども。このあいだ、劇団の助成金申請を初めてやってみたんですけど、ものすごく面倒で。あと、劇場費とか初めて自分でちゃんと見たな、とか。よこまこ(横山真 劇団ざくろう)さんは当然わかっていることも自分にはわからなくて、苦しい、とか。でも、これから頑張っていくのは俺たち若手なので。表現したい表現したいって思いはあるので、チャンスがあるなら勉強していきたいな、と。

―― 意欲的ですね。

意欲はあるけど自信はないから。挫けながらやっていければと。

―― タフですね。

タフなのかな……。

―― 「挫けながらやっていこう」、と思える人はだいぶレアなのではないかと……。

タフかな……。声優やめた時の、本当に挫けた気持ちと比べれば……自分にはこれしかない、と思っていたものを……

―― 挫折を知っている、ということの強みと言えるかもしれませんね。

多分それはほんとに、唯一自分について確信をもって言えると思います。挫折を知っているというのは。今、宮城の若手の多くは東京に行って夢を叶えたい、と思うと思うのですけれど、自分もそうでしたし。それができなかった人、それができなくて、自分と同じように、挫けた人がいた時に、自分がもうそういう経験をしているから、その人にかける言葉を探して行きたい、と思って。
人のためにやりたい、というのが変わらないことで。昔から目立つのは好きで。人と違うことをするのが好きで、昔は自分のことを天才だと思っていたので。自信満々で。
今は、もっと人に対して向き合ったりしたい。後輩も先輩も好きだし。人のためになんかやっていきたい、と思います。

―― 周囲にすごい人がたくさんいる、と伺いましたけれど、今の環境で、困っていることはありますか? ご不満とか。

今、仙台で演劇を頑張っていこうとする中では、自分は不幸の時代の中にいるじゃないか、と思っていまして。
ギュウさんとかから昔の仙台演劇の盛況を聴いていると、今、夢と行動力を持って動いている自分たちは、それが叶えられない不幸の時代にいるんじゃないか、と思います。バカで演劇をやれない、というか。お客さんの数とか、お金と密接に紐づけてしまうとか、そういうのリスクであって、楽しさの本質じゃないのではないかと。楽しい以外の感情がどうしても浮かんでしまう。

今は、YouTubeやゲームや、いろんな娯楽があって、個々人それぞれの需要というのが大事で。そうした、演劇離れしている人たちに、演劇の楽しさとか、演劇にしかないものを伝えるのがすごくたいへんだなと。自分は演劇で頑張っていきたいと思っていますけれど。プレイする側の面白さではカラオケに勝ちたいし。YouTubeで米津玄師聴いてた方が感動するんじゃないかとか思ったりもしますけれど。相手は無料だし、とか。
でも、そこに向き合っていくのが俺ら若手かなと。この時代ならではの演劇の面白さ、この時代だからこその、仙台の演劇の需要を、まだ若手に数えられているうちに見つけていきたいです。そして、後輩にはもっとやりやすい環境でやってほしいです。
なので、自分には、シンプルな不満というのは、そんなにないです。無我夢中で頑張っていて、楽しいもつらいも受け止めて吸収しているんですけど。
時代的には、昔話をされればされるほど、つらいことが多くて。昔話自体は好きなんですけど、今と比べてしまうと、じゃ今なんのためにやればいいのか、なんのために頑張るのか、と思ってしまって。後輩にはそう思わせたくない。そのための環境を作ってゆきたいです。

―― ギュウさん(1964年生)をはじめ、上の世代の方々と接する機会も多いのでしょうけれど、例えばバブルのころとかと比べるとどうしても、というのはありますよね。

本当に。今の国の状況を見ても、絶対に戻ることはないので。バブルがはじけて以降は、基本的にはずっと景気は下落して、貧しくなっている、そのなかでやる、ていう。自分は、そこに向き合ってどうできるんだろう、というのを、考えて、作っていかなければならないなと思っています。まあ、僕は、後輩のため、後続のため、ですね。自分は、楽しくやっているから、良いんですけど。

―― 渡邉悠生さんのことといい、渡部ギュウさんのことといい、人の言葉をしっかりご自身のうちに受け止めておられますね。

そうかもしれないですね。自分が、いろいろと足りない人間だからかもしれません。社会性とか? 挫けそうなときに、先輩から投げかけてもらった言葉をしっかり覚えています。
そこにもやはり自分のコンプレックスが関係しているように思います。へたさや足りないものが見えてしまって、ばかになれない。だからこそ、人の言葉をしっかり受ける、という。

―― 今後のご予定を伺ってよろしいでしょうか。

今月末に、東北えびすの顔見世興行がありまして、7月にも一本同じく演劇クラブの舞台に出演の予定があります。
秋には、劇団 東北えびすの第一回の本公演『僕たちの好きだった革命』がひかえていまして、その後、年内の予定で、脚本の書き下ろしの予定もあります。

―― 戯曲をお書きにもなるのですね。
―― では、今後なさっていきたいこと、展望や野望についてはいかがですか?

なにから言うといいかな……多すぎて……(笑)
まず、ギュウさんの芝居を受け継ぎたいです。演劇観というか。それを軸に頑張っているところもあります。
あとは、脚本の延長でというか、歌を作ったりもしてみたいと思っています。この人のことを歌にしたいな、と思うことは結構あって。もうちょっとマルチに活動していきたいです。
東京じゃなくて仙台でやっていきたいな、と思っています。仙台のほうが面白いなって。仙台の人として頑張っていきたいかな。いろんなことで。後輩のために、色んな人のために。動いていきたいです。
人として強くなりつつ、人の弱さを表現していきたい、というのを大事に抱えていて。人間の英雄的なところばっかり表現してもどうかと思うんです。自分の自信のなさやコンプレックス、その表現で救われるひとを大事にしたい。人の弱さに向き合っていたい、と思います。

―― 挫けること、挫折、蹉跌を経験として持っている方ならでは、と言えるかもしれませんね。

優しい人になりたいって。厳しくすることこそが優しい、というときもありますし、優しさって何だろうな、とも思いますけれども。自問するのは、エゴとして、優しい人になりたいというのは、それって優しくないのでは、と。それで救われるのは自分じゃないか、と思ったりもしまして。ひとのために、優しさの正体については、研究していきたいです。変な話ですけれど。

―― 今、気になる若手、というとどんな方がおられますか?

まず、僕の仙台の推し女優のお二人ですね。
秋田谷妃夏(尚絅学院大学演劇サークル 尚劇団、 劇団 東北えびす)さん。ご自身の抱えているものや、自信のなさ。それに、かわいいとクールの共存しているところが素敵です。あと、演技の覚悟のありかたが、見てて好きだな、と。
もうお一人が、千石すみれ(三桜OG劇団ブルーマー)さんです。ざくろうに出演しておられたのを拝見したのですが、この人には絶対役者として勝てない、と。演技の深さ、うまさ、すごすぎて悔しいくらい。レベルが違う、と思いました。大先輩の舞台を観ているみたいで。
あと、渡邉悠生先輩もですね。映像、撮影の方に舵を切っておられて、今はあまり直接活動分野が重なってはいないんですけれど、応援し合っている、のではないかなと(笑) 舞台俳優でもあって、撮影にも挑戦しておられて、新しいんじゃないかなと。

―― 大変参考になりました。
今日は、興味深いお話をどうもありがとうございました。

ありがとうございました。

聞き手 本儀拓(仙台演劇カレンダー)

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本儀拓 について

宮城県仙台市で舞台音響、音響効果をやっています。 キーウィ サウンドワークス( https://kiwisoundworks.com )代表。 本を読んだりお茶を飲んだりお酒を飲んだりするのが好きです。